今は、スーパーやコンビニに行けばいつでも食材が手に入る。時短調理器も流通しており、手軽に美味しい料理が食べられる。家電の種類が増え、便利な機能が搭載されてきたのは最近のことだ。
「今は便利になったね」とよく耳にするが、昔の生活の普通はどんな様子だったのだろうか。今回は祖母へのインタビューを通して、子どもの頃に食べていたもの、家庭での食事、特別な日のごちそうなどを聞き、当時の食卓や暮らしを紹介する。
まずは祖母について簡単に紹介していく。

- 1940年生まれ、86歳
- 栃木県在住、現在も畑仕事をしている
- 9人兄弟(五男四女)の7番目
- 幼少期は戦後の食糧難の時代
- 子ども4人(一男三女)を出産
- 孫は9人、執筆者は9人目の孫
昔の朝ごはん、何を食べていた?
現代では珍しい9人兄弟。大家族の食卓は、想像しただけで賑やかだ。祖母に子どもの頃の朝ごはんについて聞くと、当時の当たり前が次々と飛び出した。
Q:子供のころの朝食の定番は?
A:ご飯とお味噌汁、漬物はいつもあったね。米と野菜は作っているから、作ったものを取って食べていたよ。烏骨鶏も飼っていたから、卵が取れれば食べていた。
家の前に川があって清水だったの。そこでフナとかウナギも取れたよ。魚が取れた時はごちそう。魚に串を刺して、藁に刺して焼いて食べたね。
鶏を飼ってたから鶏肉は食べた。自分で捌くんだよ。豚肉も時々食べたかな、お肉屋さんで買ってね。
姉さんが仲人さんやってたからさ、お礼にお歳暮みたいな感じで鮭を持ってくるの。時期によっては鮭がいっぱいあった。ごちそうだったけど、鮭には困らなかったね。
今は身近な鮭がごちそう、鶏を自分たちで捌いて食べるのも当たり前というたくさんの驚きが出てきた。そんな暮らしを支えていたのは11人という大家族だった。
Q:ばあちゃん兄弟多かったよね?昔は8人兄弟、9人兄弟は珍しくない?
A:昔の人は健康だったんだろうね。9人兄弟は多いと思うけど、5、6人は普通だったと思うよ。18とか20くらいで出産してたんじゃない?
家でお産してたのは母さんの頃。母子センターができてからはみんなそこで出産したね。1週間くらい入院したよ。
2024年の第1子出生時の母の平均年齢は31.0歳(厚生労働省「人口動態統計」)。初産年齢上昇と少子化が問題視されているが、身近なところでもその事実を痛感した。
昔の食卓を取り巻く環境
亭主関白という言葉もあるが、昔は専業主婦も多く、現代ほど男女平等ではなかったように思う。家庭内でどのように役割分担されていたのか、環境の当たり前はどんなだったのか。
今はない収入を得る方法も聞くことができた。
Q:最近は主夫って言葉もあるけど、昔は家のことは女の人がやるのが普通だったんじゃない?
A:魚を取りに行くのはお父さんと長男。作るのは大体女の人。子供だけどなんでもやらされたよ。
父さんはいろんなことしててね。たばこの大きい葉っぱを干して乾燥させて出荷する、っていうこともしてた。干したのをきれいに伸ばすんだけど、大きくて大変だから2人で根本と先を持って伸ばすの。そういうのも手伝っていたね。
材料の用意は男性、実際に料理するのは女性といった感じのよう。大家族は食事も賑やかだったと想像できる。

Q:ご飯はみんなで食卓を囲んで食べてた?大きいテーブルを囲んでたのかな?
A:昔はお膳だった。ひとり一つお膳があってそこにご飯と味噌汁、漬物を並べる。今ほど不潔とか考えなかったから、お膳は毎回洗ってたのか、一日一回洗ってたのかは覚えてないね。
テレビで見る、床にお膳を置き正座して食べる様子が浮かんでくる。お膳を使うのも今はない習慣だが、その食事を取り巻く環境はどうだったのだろうか。

Q:作ったもの、買った野菜はみんな冷蔵庫に入れるけど、昔も冷蔵庫はあった?
A:冷蔵庫なんてないよ。食べ物を冷やしておくって感覚もあんまりなかった。こんなに暑いこともなかったし。野菜は食べるのを取るから、何日も保管しておくっていうことはなかったからね。
食べるものを取ってすぐに使うのが普通だったようだ。今は野菜室などもあるが、保管するという考えは比較的最近のものだと分かった。
誕生日やお正月は特別?大きなイベントの実際とは
クリスマスやハロウィンなど、街中が華やかに装飾されるイベント時期。ならではの食べ物、プレゼントを用意して楽しむ方も少なくない。昔はイベントをどのように過ごしていたのだろうか。
Q:誕生日やクリスマスのごちそうはあった?
A:誕生日だって特別なご飯はないよ。クリスマスだってこんなに色々するようになったのはいつかね?子供の頃は全然ないよ、お祝いって言ったら正月くらい。
雑煮、きんとん、羊羹、松前漬けもあったのかな…昆布締めとか作ってさ。お正月だけは男の人がご飯用意して、女の人はゆっくり寝てるの。三が日みんなでゆっくりしたね。
あとは赤飯と牡丹餅だね。おはぎだけど呼び方が違うんだよ。春は牡丹の花が咲くから牡丹餅なんだよね。秋は萩だね。稲刈りが終わると「今年もできたね」って食べるのよ。

田植えは家族以外の人にも手伝ってもらうから、終わるとお赤飯炊くんだ。おめでたいときは赤飯を炊いて、剪定屋さんとかみんなに配ったよ。
お祝い事の対象が今と昔で違うと分かった。牡丹餅も手作りしていたようだが、最近はケーキやクリスマスチキン、季節の装飾も簡単に手に入る。用意しやすくなったのも皆がイベントを楽しむきっかけになっているのだろう。
Q:最近はいろいろ便利になった?
A:それはなんでも便利になったよね。携帯だってもちろん、電話もなくて子供おぶってお医者さん呼びに行くんだから。家族みんなでキノコに当たっちゃったとき、食べた人はみんな動けなくて夜中に先生を呼びに行った。
田植えも稲刈りも、なんか物を運ぶのは馬車だからさ。今じゃなんでも機械だけどね。
昔は入院って言ったって寝るとこが用意されるくらいで、食事は家の人が持っていくからね。イワシの缶詰くらいしか食べるものないけど、家の人が全部用意して運んでたよ。
ひとり一台携帯を持つことが普通になったのは大きな時代の変化だ。今は入院中の面会も制限されるくらいだが、入院中の家族の在り方にも大きな変化があるようだ。
祖母の話を聞いて見えてきたもの
祖母の話を聞いてみて、昔の食卓には今とは違った「当たり前」があったことが分かった。お米や野菜を自分たちで作り、卵や魚も身近なところから手に入れる。冷蔵庫や便利な調理家電がなくても、その日に必要なものをその日に用意して食べるのが普通だったようだ。
誕生日やクリスマスに特別な料理を用意する習慣はなく、お正月や田植え、稲刈りなど、季節の節目や農作業の区切りにごちそうを食べる。赤飯や牡丹餅には、「今年も無事に収穫できた」という喜びや、周囲への感謝も込められていた。
もちろん、今と比べれば不便なことも多かっただろう。それでも、家族それぞれが役割を担い、近所の人や親族と助け合いながら暮らしており、人とのつながりを現代より感じることができた。
便利になった現代では、いつでも好きなものを買え、家事の負担も減っている。一方で、昔の食卓には「自分たちで作る」「みんなで分ける」「季節を味わう」といった、今では少し遠くなった習慣があった。
祖母の思い出を聞くことは、昔の食事を知るだけでなく、当時の家族の暮らしや人とのつながりを知ることでもあった。便利さだけでは測れない、昭和の食卓の豊かさがあったのかもしれない。
※イラストはイメージです。